性におぼれた大学生程下ネタを言わないという傾向
昨今、パワハラ、セクハラという概念が社会に浸透してきており、ジェンダー、コンプライアンスと相まって「下ネタ」という笑いは絶滅に等しい状況となっている。
それは社会人というにはまだ早い大学生というコミュニティにおいても同様であり、男女別学のノリで下ネタを発しようものならにこやかに流された後、自分を除いたLINEグループがまことしやかに作られてしまうのは世の必定と言えるだろう。*2
話は多少逸れる。
「人間」が「人間」であるという唯一性は有史以来常に語られ続けてきたものであるが、その一つに「象徴」というものがある。現代文の授業などでよく教師が語っている読解の技術的なアレである。
炎を情熱と見なし、ハトを平和の象徴と見なし、太陽を神として崇めるといった行為はこの「象徴」というものに当てはまる。一つのモノや概念をある別のモノ、概念に置き換える、あるいは統合することを「象徴」*3と呼ぶのだ。
更に付け加えて言うのであれば、本来「象徴」とは一つの動作を一つの概念に置き換えることであった。太陽を神と見なす原型には「日が昇る」という動作、動きが神として崇められるスタイルが存在している。すなわち「象徴」されるモノは動作でも物体でも概念でも可能なのだ。
さて、このような「象徴」の行為は敬虔なる男子校、女子校出身者にとってはかなり地雷になりやすい。なぜなら「下ネタ」というのは「象徴」という行為において最も出やすいものだからである。
ぬるいぬるい共学のお湯の如き環境に身を浸していた一般人*4には理解できないことではあるが、男女別学における「下ネタ」とは何も超絶ド級の変態行為や変態ワードをたまにニチャニチャしながら言うものではない。「下ネタ」とは息を吸い、吐くのと変わらない日常性をもって会話の中に混じってくるものなのだ。
それこそ何かを「象徴」するときの「下ネタ」なのだ。頭の悪い行為、変なこと、腹立たしいことが起きた時、男女別学(特に男子校)ではそれに対して以下のような「下ネタ」を用いて感情を表し、行動を評価する。
『それって、チンコじゃね?』
このワードを使うことによって、「別に罵倒って程ではないけどバカバカしい」ような状況を的確に表現することが出来る。しかも適度な下ネタによって相手を不快な気持ちにさせるような危険性もない。(なおこの事例のチ〇コは形容詞用法なので注意)
「バカバカしい」って言えばいいと思う人もいるだろう。僕もそう思います。
しかし、日本は古来より「言外の余情」*5という価値観を大切にしてきた。感情を直接的に表現するのではなく、別のモノで例えることによって迂遠かつ想像力に任せたコミュニケーションを美徳としているのである。日本語という言葉の多義性、豊かさを存分に生かした素晴らしいワード、それがチ〇コという言葉なのだ。
そう考えたとき、日本古来の表現技法という観点で『エモい』のような若者言葉も『チ〇コ』という下ネタも同様の性質を内包していると言える。
ちなみにどうでもいいがチン〇ンもチ〇ポコも良いのだが、僕は『チ〇ポ』だけがどうしても受け付けない。なんかヤリチン感がすさまじい。
②下ネタを毛嫌いする大学生
本題に入るが、大学生の中には下ネタを受け付けない輩が非常に多くいる。その大半は女子であるが、中には男子も少数だがいる。その人の好き嫌い、自由な主義心条は日本国憲法において認められており、僕がとやかく言えるものではない。
というより「下ネタが嫌い」という人に対して「なんで下ネタが嫌いなんだよ!」というやつは流石に頭がどうにかしているので男子校で永久に隔離されているべきではある。下ネタはある程度の下劣さがあるが故に下ネタなのだということをわきまえねばならない。
しかし、そのような軽めの下ネタ、小学生が言っているレベルの下ネタに対して過度な拒絶を示す、もしくはそのような下ネタでさえ人前で発することもままならない現状というのは中々どうして如何なものか。
女性も含めたグループにおいてうっかり「ち〇こ」などの下ネタを言おうものならすぐさまコンプラ警察によって袋叩きにされることは想像に難くない。我々は過剰なまでのデリカシーを求められていると言っても過言ではないだろう。*6
デリカシーの配慮というものは我々が勝手にやっていることであって、女性に強制されたものではないということは前提として存在する。しかし、現に僕が見てきた多くのコミュニティにおいて下ネタを忌避する同調圧力というのは存在していた。あえて避けすぎるあまり、ヴ〇ルデモート卿*7のような扱いになっているコミュニティもある。
結局のところ、実際に下ネタが嫌いorやたらとデリカシーを強調してくる女性は多くいるというのが大学4年間での僕の所感であり、実態だと思っている。
ただここで非常に疑問なのが、
「どうしてそんなに言ってはならないのか」
ということである。
「チ〇コ」を具体例として考えよう。
先述したようにここで発している「チ〇コ」とはあくまで形容詞用法、大雑把に言えば概念のようなものである。この非常に抽象的な言葉である「チ〇コ」という言葉に対してどうして強い忌避感を抱く、嫌がる女子がいるのか。それはその「チ〇コ」の抽象性を離れ、より具体的で生々しい印象を感じるからなのだろう。
ではなぜただの「チ〇コ」という言葉に「具体的」で「生々しい」印象を抱くのか。
それはおそらく
「具体的なチ〇コを想像してしまうから」
だからだと僕は思う。
なぜ具体的なチ〇コを想像してしまうのか?
「実際にチ〇コを見たから」
である。
人間は自分が実際に体験したことをもってして初めて「学んだ」と言える。「チ〇コ」は我々「いつも股間にある」男子にとっては普通に肉体の一部でしかなく、「チ〇コ」を見たことがない女子にとっては良くわからんDickでしかないのだ。
すなわち、「チ〇コ」という言葉に過敏に反応し拒絶反応を起こす女子というのは「実際に他人のチ〇コに対して何らかの接触を図った」女子でしかないのである。実際にきったねえ「チ〇コ」を知っているからこそ、ただの下ネタである「チ〇コ」に対して嫌悪感を抱くのだ。
「下ネタを忌避する女子」=「実際にチ〇コを見たことがある女子」
という等式が成り立つ。
そして下の図を見てほしい。
日本成人における異性間性交渉未経験の割合の推移について:
出生動向基本調査の分析, 1987 – 2015年
日本成人における異性間性交渉未経験の割合の推移について:
出生動向基本調査の分析, 1987 – 2015年
この2つのグラフは男女それぞれの異性間性交渉、雑に言えばS〇Xの経験の有無をグラフにしたものである。見ればわかるように18-19歳で男女どちらも75%ほどが未経験だったのに対し、20-24歳、すなわち大学生になってから未経験者の数は50%を下回る。すなわち女性における経験者がマジョリティとなり未経験者がマイノリティとなるのだ。
このように、口さがなく言うのであれば「チ〇コ見ちゃったから逆に下ネタが嫌いになった」女子が増えたからこそ、大学コミュニティにおいて下ネタを忌避するヴォルデモート的同調圧力が蔓延しているのだと考えられるだろう。
だからこそ、もし大学生活において己の下ネタを女子に軽蔑された場合、こう言ってやってほしい。
「それってあなたの(チ〇コ見た)感想ですよね?」と。
それが我々にできる唯一の抵抗だと僕は思っている。
※ちなみにこのブログはまさしく「チ〇コ」の如き駄ブログですので、特定の個人、団体、思想をけなすものではないということを明記しておくのに加え、非常に偏った頭の悪い思想ですのでフィクション程度で読んでいただけたらなと思っております(安全弁)
※今回は「象徴」という観点での下ネタに言及しただけであり、普通にエグい下ネタも存在するし言っている人もバッコリいます
--------------------------------
参考文献
日本成人における異性間性交渉未経験の割合の推移について:
出生動向基本調査の分析, 1987 – 2015年
最終確認日;2021/01/27